女子高でデートDVの話をしてきました
今日は、女子高校でデートDV予防の授業をしてきました。
テーマは
「それって愛なの?」
恋愛の話から入る、いつものスタイルです。
最初にやったのは、ちょっとした“実験”。
ペアを組んでもらって、
片方は目を閉じた状態で、
もう片方が「どうやって握手するか」を考える。
声は出さない。方法は自由。
結果は、毎回おもしろいくらいバラバラになります。
強引に手を引く人もいれば、
そっと触れて様子を見る人もいる。
ここで伝えたかったのはひとつ。
「同意」って何か、体で考えること。
言葉がなくても、
相手がOKかどうかを感じ取ろうとする姿勢。
これがない関係は、うまくいかない。
「ラブラブ」と「しんどい恋愛」
授業ではまず、理想の恋愛を出してもらいます。
・ラブラブ
・毎日楽しい
・一緒にいたい
いわゆる“キラキラした恋愛”。
でも次に聞くと、ちゃんと出てくるんです。
・束縛がつらい
・バカにされる
・怖い
・楽しくない
つまり、
恋愛って、幸せなものだけじゃない。
ここをちゃんと認識するところからスタートです。
YES / NOが盛り上がりすぎる問題
今回もやりました。
- 毎日連絡するのが普通?
- スマホを見るのはアリ?
- 「誰といるの?」って聞くのは普通?
- 好きだから束縛するのはOK?
これ、めちゃくちゃ割れます。
そして面白いのは、
交際している子ほど迷う。
頭では「それって違うよね」と思っていても、
実際の関係の中では「まあいいか」となっている。
ここに、デートDVの入り口があります。
デートDVは「特別な話」じゃない
「暴力」と聞くと、
殴る・蹴るをイメージする子が多い。
でも実際には、
こういうものも全部含まれます。
そして怖いのは、
最初から怖いわけじゃないこと。
むしろ優しいところから始まる。
だから気づきにくい。
「それって愛なの?」を問い続ける
今回の授業で何度も繰り返した言葉。
「それって愛なの?」
好きだから心配する
好きだから束縛する
好きだから我慢する
本当にそうなのか?
ここを立ち止まって考えられるかどうかで、
関係は大きく変わります。
女子高だからこそ伝えたこと
今回は女子高だったので、特に強く伝えたのはここ。
- 自分の体は自分のもの
- イヤなことはイヤと言っていい
- 妊娠も性感染症も「知っていれば防げる」
「好きだから」では守れないことがある。
これは、ちゃんと現実として伝えないといけない。
最後に
授業の最後に伝えたこと。
「頑張る恋愛じゃなくて、楽でいられる恋愛をしてほしい」
これ、シンプルだけど本質です。
無理しないと続かない関係は、どこかがおかしい。
恋愛は本来、安心できるもののはずだから。
女子高生たちは、よく考えていました。
そしてちゃんと迷っていました。
その迷いこそが大事だと思っています。
正解を押し付けるのではなく、
自分で考える力を持ってほしい。
そんな授業でした。
エアタグの問題は「追跡技術」ではない
最近、取材でエアタグを使ったストーカーの話をしました。
正直に言うと、最初は「また新しい怖い道具の話か」と思われるかもしれない、と感じていました。
でも話してみると、記者の方から「それは今まで気づかなかった」と言われたのです。
私が伝えたのは、エアタグの使い方ではありません。
もっと根本的なことです。
多くの人は、ストーカーを
「別れたあとに急に始まる異常な行動」だと思っています。
でも現場で見ていると、そうではありません。
ストーカー行為は、もともとの関係の中にあった
“監視的な関わり”が強くなったものです。
たとえば、
・「誰といるの?」と頻繁に聞く
・返信が遅いと理由を求める
・予定や行動を把握しようとする
こうした行動は、恋愛の中で
「普通」「心配しているだけ」と受け止められがちです。
けれど、それはすでに“監視”の入り口かもしれません。
加害者の多くは、自分の行動を問題だとは思っていません。
むしろ、
「好きだから気になる」
「心配しているだけ」
と考えています。
つまり、支配が“やさしさ”として語られているのです。
そして、相手が嫌だと言っても、
「本当は嫌じゃないはず」
「一時的な感情だろう」
と解釈してしまう。
ここで、関係の境界線は崩れていきます。
ここでエアタグの話に戻ります。
エアタグは確かに便利な道具です。
そして、その便利さゆえに問題にもなります。
でも、本質はそこではありません。
エアタグは、
もともとあった「相手を把握したい」という欲求に
手段が与えられただけです。
つまり、
新しい犯罪が生まれたのではなく、
もともとの行動が強化されたのです。
もう一つ重要なのは、周囲の存在です。
・「恋人なら普通じゃない?」
・「それくらいで怒るの?」
こうした言葉が、違和感を飲み込ませます。
本人も、周囲も、
「問題だと気づかないまま進んでしまう」
これが、行動をエスカレートさせる土台になります。
違和感は、小さいうちに
ストーカーは突然現れる存在ではありません。
関係の中で、少しずつ形づくられていきます。
だからこそ大事なのは、
「これって普通かな?」と感じた違和感を
そのままにしないことです。
違和感は、多くの場合、間違っていません。
恋愛は、本来、自由で安心できる関係のはずです。
もし「我慢」が増えているとしたら、
それは少し立ち止まっていいサインかもしれません。
いい恋愛は、
“我慢が増えるもの”ではなく
“安心してそのままでいられる時間が増えるもの”です。
「離婚したいのにできない」相談がこれほど多い理由
—第12回 女性による女性のための相談会より—
3月22日に開催した「女性による女性のための相談会」では、実行委員として参加したのですが、今回も多くの女性が足を運んでくれました。
相談件数は81件。年代も20代から80代までと幅広く、それぞれが複雑な困難を抱えていました。
その中でも、今回特に目立ったのが
DV・離婚・婚姻費用・養育費に関する相談の多さです。
■「生活費を渡されない」というDV
相談の中には、暴力だけでなく、
生活費を十分に渡されない「経済的DV」のケースが多くありました。
「収入はあるはずなのに、生活費をもらえない」
「離婚したいけど、お金がなくて動けない」
こうした状況では、離婚は「意思」の問題ではなく、
構造的に“できない状態”になります。
■離婚と同時に立ちはだかる「お金の壁」
離婚を考えたとき、必ず出てくるのが
ですが、現場ではこんな声が出ていました。
- 「養育費を減額してほしいと言われた」
- 「先の生活が見えなくて不安で眠れない」
- 「制度があっても、どう使えばいいかわからない」
制度はある。
でも、使える状態にない人が多い。
ここが一番の問題です。
■「離婚したいのにできない」という現実
今回の相談で強く感じたのは、
離婚は“決断”ではなく、“条件が揃って初めてできるもの”だということです。
- 住む場所がない
- 収入の見通しが立たない
- 養育費が不安定
- 手続きが複雑でわからない
この状態で「自己決定してください」と言われても、
それはほとんど機能しません。
■背景にあるのは「女性が尊重されない構造」
家庭でも、職場でも、今回の相談から見えてきたのは
女性が尊重されないことを前提にした社会構造です。
- 家庭内では経済的にコントロールされる
- 職場ではハラスメントや性暴力を受ける
- 困ったときに制度にアクセスできない
これらはバラバラの問題ではなく、
一つの連続した構造の中で起きています。
■だからこそ必要なのは「相談の場」
今回の相談会では、弁護士や専門職と直接つながることで、
- 法的にどう動けるか
- どんな支援が使えるか
- 今すぐ何をすべきか
を具体的に整理することができました。
相談に来た方からは、
「助かった」という声も多く寄せられています。
■最後に
DV、離婚、婚姻費用、養育費の問題は、
個人の問題ではなく、社会の問題です。
そしてもう一つ大事なのは、
「相談できる場所があるかどうか」で、その後の人生が変わるということ。
だからこそ、この相談会は実行委員として続けていきます。
高校生の恋愛事情を聞いてみた
先日、中高生の居場所におじゃましてきました。
公民館のような場所で、放課後になると子どもたちが自由に集まってくる場所です。
今回は講座ではなく、遊びに来ている高校生たちと雑談しながら、デートDVのことを少しだけ話すという形でした。
用意していたボードに
「YES」
「NO」
を書いて、質問にシールを貼ってもらいます。
「恋人とは毎日連絡を取るのが普通?」
「恋人のスマホを見るのはアリ?」
「恋人が誰といるか聞くのは普通?」
「好きだから心配する、はOK?」
すると、シールがどんどん貼られていきます。
面白いのは、答えがきれいに分かれることです。
「それはイヤでしょ」という声もあれば、
「別にいいじゃん」という声もあります。
そしてもう一つ、印象的だったことがありました。
交際相手がいない子たちは、
「それは嫌だ」「それはおかしい」
と、はっきりNOと言えることが多いのです。
一方で、実際に交際している子たちは少し悩みます。
「本当は嫌だけど…」
「でも相手が心配するって言うし…」
「好きだからしょうがないのかな…」
頭で考えている理想の恋愛と、実際の恋愛とのあいだで、少し揺れている様子が伝わってきました。
LINEの既読や返信の速さ、
誰と遊んでいるのか、
SNSのフォロー、嫉妬、束縛…。
スマホがある時代の恋愛は、つながりやすい分だけ、関係が近くなりすぎることもあるのかもしれません。
今回の時間で何かが大きく変わるわけではありません。
でも、
「それって普通なのかな?」
「自分だったらどう感じるかな?」
そんなふうに少し立ち止まって考えるきっかけになっていたらいいなと思います。
こういう場所で、若者たちの声を聞きながら話す時間は、やはり大切だなあと感じた一日でした。
映画は「作品」だけでなく「現場」でもつくられる
――製作スタッフ全員受講のハラスメント研修を終えて
本日、映画業界の製作スタッフ全員を対象としたハラスメント研修を実施しました。
俳優、制作、技術、マネジメント——
立場も役割も異なる方々が、同じ時間を共有し、「現場の空気」について考える時間となりました。
今回、私が中心にお話ししたのは
「バイスタンダー(傍観者)」の存在です。
多くの現場では、
「加害者が悪い」
「被害者が声を上げればいい」
という二項対立で語られがちです。
けれど実際には、その周囲にいる人たちの態度が、
現場の文化を決定づけています。
・見て見ぬふりをする
・笑ってやり過ごす
・空気を読んで沈黙する
それらは中立ではありません。
沈黙は、時に明確な加担になります。
映画制作の現場は、
・期間限定のチーム
・上下関係が明確
・「作品のため」という大義名分
・長時間労働
・夢や憧れを背景にした若手の多さ
といった特徴を持ちます。
そのため、
「今ここで波風を立てたくない」
「次の仕事がなくなるかもしれない」
「監督に逆らえない」
という心理が働きやすい構造でもあります。
この構造こそが、
ハラスメントを“起きやすくし”、
そして“続きやすくする”のです。
今日の研修では、問いかけをしました。
- その場でできる小さな一言は?
- 後から声をかけることはできないか?
- 「笑わない」という選択はできないか?
バイスタンダーは、
現場の空気を変える力を持っています。
大きな正義感で立ち向かう必要はありません。
ほんの小さな違和感に気づき、
「それは違うかもしれない」と心の中で線を引くこと。
そこから始まります。
映画は人の心を動かす芸術です。
今日はDVに関する研修会でした
本日、DVをテーマにした、対面とオンラインのハイブリッドの研修会に講師として出席してきました。
今回は、当事者の方々が含まれる場でもあったため、何かを決断する時間ではなく、「自分の感覚を大切にする時間」にすることを心がけました。
会場の空気と、画面越しのまなざし。それぞれの場所で、それぞれの思いがあったように感じています。
DVというと、「怒り」や「性格」の問題として語られがちです。
けれど今回は、関係の中でどのように“力”が使われているのか、という視点から整理しました。
誰が決めているのか。
誰が空気を左右できるのか。
誰が我慢を続けているのか。
少し距離をとって関係を見ることで、見えてくるものがあります。
小さな違和感を否定しない
DVは、ある日突然始まるわけではありません。多くは、小さな違和感の積み重ねから始まります。
「なんとなくおかしい」
「少し苦しい」
「言葉にしづらいけれど、引っかかる」
その感覚は、弱さではありません。
今日は、その違和感を急いで説明しなくていい、そんな時間にしました。
研修では、なぜ離れないのか、という問いにも触れました。
現実には、経済や子ども、生活基盤など、簡単には動けない事情があります。
動かないことが、その時点では一番安全な選択であることもあります。
それは決して「弱さ」ではありません。
後半では「境界線」という視点を共有しました。
NOは攻撃ではありません。
相手を変えるための言葉でもありません。
自分の領域を守るための線です。
うまく言えなくても大丈夫。
今すぐ使えなくても大丈夫。
ただ、「NOは悪いことではない」ということだけでも、
心のどこかに置いておいてもらえたらと思っています。
ハイブリッドという形式でしたが、それぞれの場所で、静かに考える時間が流れていました。
今日が何かのきっかけにならなくても構いません。
ただ、「自分の感覚を否定しなくていい」と思えたなら、それで十分です。
ご参加くださった皆さま、ありがとうございました。
第2回bloom+を終えて
― 背負わされていた言葉を、そっと置く時間 ―
第2回は、「自責感」をテーマにしました。
DVや虐待の関係のなかで、
いつのまにか自分の中に残ってしまった言葉を、
カードを使って、静かに見ていく時間でした。
テーブルに並んだ言葉の中には、こんなものがありました。
「それくらい普通だよ」
「あなたが気にしすぎ」
「私がもっと上手にできたはず」
「うまくやれない私が悪い」
「ここで問題にする私がおかしい」
「私が黙っていればよかった」
「私が期待しすぎた」などなど数十種類のカードが並びます。
どれも、どこかで耳にしたことがあるような言葉です。
でも、それが何度も繰り返されると、
やがて自分の声のように聞こえてくることがあります。
今回のワークでは、その言葉が
「本当に自分の言葉だったのか」
を、無理なく見ていきました。
共有はしません。
説明も求めません。
ただ、カードを手元に置く。
脇に分ける。
何も選ばない。
それもすべて、その人の選択です。
ある参加者が、ぽつりとこう言いました。
「言葉にすると、ちょっと離れて見える気がします。」
それ以上は深めませんでした。
この場は、分析する場所ではなく、
安心して置き直す場所だからです。
自責感は、性格の問題ではありません。
関係の中で、少しずつ、少しずつ、
背負わされていくものです。
「私が悪い」と思うことで、
関係を壊さずにいようとした。
怖さをやり過ごそうとした。
その場を生き延びようとした。
それは弱さではなく、
その時にできた精一杯の工夫です。
第2回は、大きな変化を目指す回ではありません。
ただ、
「これは、私の言葉じゃなかったかもしれない」
と、心のどこかで思える時間。
それだけで、十分なのだと思います。
女性のためのサポートグループを始めます
このたび、女性のためのサポートグループを始めることになりました。
これまで、個別相談や講座、出前授業などを通して、多くの女性の声に触れてきました。
その中で、繰り返し聞こえてきたのが、
「話せる場がない」
「同じような経験をした人と出会う機会がない」
「一人で抱えているうちに、自分の感じ方がわからなくなってしまった」
という声でした。
サポートグループは、問題を急いで解決する場ではありません。
正解を出したり、元気になることを求められる場でもありません。
ここは、
・言葉にならない思いを、そのまま持ち込んでいい場所
・話してもいいし、話さなくてもいい場所
・「そんなふうに感じた自分」を否定されない場所
です。
参加される方の背景や経験はさまざまです。
それでも、同じ空間で、同じ時間を過ごし、他の人の話を聞く中で、
「自分だけじゃなかった」
「こう感じてもいいんだ」
と、少しずつ視界が開けていくことがあります。
このグループでは、安心・安全を何より大切にします。
守秘、尊重、無理をしないこと。
誰かの体験を比べたり、評価したりすることはしません。
一人でがんばり続けなくていい。
「支えられる側」になることも、立派な選択です。
もし今、
・言葉にできない違和感を抱えている
・過去の出来事が、ふとした瞬間に浮かんでくる
・誰かの前では強くしてしまう
そんな状態にあるなら、このサポートグループのことを思い出してください。
詳細(日時・参加方法など)は、トップページをご覧ください。
必要な方に、静かに、確実に届きますように。
相手が「嫌がること」を好んでするDV
DVという言葉から、殴る・怒鳴る・脅すといった分かりやすい暴力を思い浮かべる人は多いと思います。
けれど、相談の現場で多く語られるのは、もっと静かで、しかし確実に人を追い詰めていくDVです。
その一つが、
相手が嫌がると分かっていることを、あえて繰り返すDVです。
このタイプのDVで重要なのは、
加害者が、相手が嫌がっていることを理解しているという点です。
何度も「やめて」と伝えている
表情や態度で不快感を示している
その話題になると黙り込む、体調を崩す
距離を取ろうとする
それでも同じことを繰り返す。
これは無神経でも冗談でもありません。
意図的な行為です。
このDVでは、
行為そのものより相手の反応が目的になります。
困る
嫌がる
混乱する
我慢する
必死に説明する
その反応を見て、加害者は無意識にこう確認しています。
「自分はこの人を動かせる」
「この人の感情は、自分の影響下にある」
つまり、
相手をコントロールできているという感覚が報酬になっているのです。
このDVの被害者は、決して何もしないわけではありません。
分かってもらおうと説明する
関係を壊さないよう言葉を選ぶ
冷静に話そうと努力する
自分の感じ方を丁寧に伝えようとする
とても誠実で、必死です。
多くの人がこう思っています。
「ちゃんと説明すれば、分かってくれるはず」
「伝え方を変えれば、変わってくれるかもしれない」
これはとても残酷な事実ですが、
このタイプのDVでは、
被害者が一生懸命になればなるほど、状況が悪化することがあります。
なぜなら加害者にとって、
長い説明
感情のこもった訴え
涙や混乱
論理的な説得
そのすべてが、
「ここまで相手を揺さぶれている」
「まだ自分の支配は効いている」
という確認材料になるからです。
結果として、
同じことを何度も繰り返す
揚げ足取りや論点ずらしが増える
「大げさだ」「気にしすぎだ」と軽く扱う
さらに嫌がる行為をエスカレートさせる
という悪循環が起きます。
ここで被害者は、もう一段自分を責めます。
もっと上手く話せばよかった
感情的にならなければよかった
説明が足りなかったのかもしれない
でも、問題はそこではありません。
すでに対等な話し合いが成立しない関係になっている
ただ、それだけのことです。
説明や説得で変わる段階は、
もう過ぎているのです。
このDVは、一つ一つの行為が小さく見えます。
ちょっとした言葉
からかい
無視
嫌な話題の蒸し返し
わざと不機嫌になる態度
だから被害者は、
「私が気にしすぎなのかも」
「これくらい我慢すべき?」
「DVと言うのは大げさ?」
と、自分の感覚を疑い始めます。
でも、
嫌だと伝えているのに繰り返される行為は、
それだけで暴力です。
相手が嫌がることを好んでするDVは、
激しくはありません。
けれど、人の尊厳・判断力・自己信頼を静かに削っていく暴力です。
そして、
あなたが必死に説明しても、説得しても変わらなかったのは、
あなたの言葉が足りなかったからではありません。
その関係が、説明で変わる段階を超えていただけです。
もし、この文章を読んで
「これ、うちのことかもしれない」と感じたら、
一人で答えを出そうとせず、相談してみてください。
気持ちをあらたに
あけましておめでとうございます。
新しい年が始まりました。
年のはじめは、気持ちが前向きになる人もいれば、
少し気持ちがざわつく人もいるかもしれません。
どんな状態でこの一年を迎えていても、それで大丈夫だと思っています。
人はそれぞれ、違う背景や経験を抱えながら日々を過ごしています。
誰かと比べたり、無理に整えようとしたりしなくても、
まずは今の自分の状態に気づくことが大切なのかもしれません。
この場所は、
「こうあるべき」を押しつけるための場ではなく、
人との関係や自分自身について、
少し立ち止まって考えるきっかけを持てる場でありたいと考えています。
この一年が、
誰にとっても、少し呼吸がしやすくなる一年になりますように。
本年も、どうぞよろしくお願いいたします。