サプライズがうまくいかない日だってある
―「よかれと思って」の裏側にある気持ちを見つめてみる―
今日のDV加害者プログラムでは、「サプライズ」の話がいくつも出てきました。
誰かを喜ばせたくて、よかれと思ってしたことが、思ったように受け取ってもらえなかった——
そんな経験、誰にでもありますよね。
サプライズは本来、相手を想う気持ちから生まれるもの。
でも現場で話を聞いていると、ときどきこんな声が聞こえてきます。
「がんばったのに、どうして喜んでくれないんだろう」
「うまく伝わらないって、つらい」
その言葉の奥には、
“相手を想う気持ち”と“自分も大切にされたい気持ち”の両方があるんだと思います。
サプライズって、実はむずかしい
なぜサプライズがこじれてしまうのでしょう?
一番の理由はこれかもしれません。
“相手の気持ちを想像する”ことが、思っている以上に難しいから。
良かれと思って動いたのに、相手の望みとはちがってしまう。
そのズレが、がっかりしたり、不安になったり、怒りに変わることもある。
今日のみんなの話にも、そんな揺れがたくさんありました。
でも、それは「悪いこと」ではありません。
大切な人を思っているからこそ、期待して、反応に揺れてしまう。
人として自然なことなんです。
相手からはどう見えていたんだろう?
今日のワークでは、“相手の気持ちを想像する”という時間がありました。
そこで出てきたのは、意外と静かな、だけど深い言葉たち。
- 「気をつかわせちゃったかな」
- 「タイミングじゃなかったのかもしれない」
- 「本当は別のことを望んでいたのかも」
“喜ばせたい”という気持ちが先に立つと、
相手の小さなサインが見えなくなることがあります。
でも今日、参加者の多くが
「ああ、自分は相手の自由や気持ちより“結果”を見ていたかもしれない」
と気づいていました。
その気づきって、とても尊いことです。
「どう見られたいか」より「どんな存在でありたいか」
プリントに書かれていた一文。今日いちばん響いた言葉でした。
“相手からどう見られたいか”より
“相手にとって自分がどんな存在でありたいか”
この視点に立つと、サプライズはもっとやさしい形に変わります。
無理をさせない。
気をつかわせない。
「いらない」と言える自由を残す。
その余白の中で初めて、
心からの「ありがとう」が生まれるんですよね。
さいごに:サプライズは“心の距離をはかる羅針盤”
サプライズは、ときどき失敗します。
でも、失敗は悪いことじゃありません。
そのたびに、
- 相手は何を大切にしているんだろう
- 今の自分はどう関わりたいんだろう
- どんな距離感が心地よいんだろう
そんなことをそっと教えてくれます。
今日のみんなの言葉を思い返しながら、
わたしは“サプライズって、関係性の羅針盤みたいだな”と感じていました。
無理に喜ばせなくていい。
完璧じゃなくていい。
ただ、丁寧に相手を見ること。
そこから関係は、静かに、でも確かに変わっていきます。
