女性のためのサポートグループを始めます

このたび、女性のためのサポートグループを始めることになりました。

これまで、個別相談や講座、出前授業などを通して、多くの女性の声に触れてきました。
その中で、繰り返し聞こえてきたのが、
「話せる場がない」
「同じような経験をした人と出会う機会がない」
「一人で抱えているうちに、自分の感じ方がわからなくなってしまった」
という声でした。

サポートグループは、問題を急いで解決する場ではありません。
正解を出したり、元気になることを求められる場でもありません。

ここは、
・言葉にならない思いを、そのまま持ち込んでいい場所
・話してもいいし、話さなくてもいい場所
・「そんなふうに感じた自分」を否定されない場所
です。

参加される方の背景や経験はさまざまです。
それでも、同じ空間で、同じ時間を過ごし、他の人の話を聞く中で、
「自分だけじゃなかった」
「こう感じてもいいんだ」
と、少しずつ視界が開けていくことがあります。

このグループでは、安心・安全を何より大切にします。
守秘、尊重、無理をしないこと。
誰かの体験を比べたり、評価したりすることはしません。

一人でがんばり続けなくていい。
「支えられる側」になることも、立派な選択です。

もし今、
・言葉にできない違和感を抱えている
・過去の出来事が、ふとした瞬間に浮かんでくる
・誰かの前では強くしてしまう
そんな状態にあるなら、このサポートグループのことを思い出してください。

詳細(日時・参加方法など)は、トップページをご覧ください。
必要な方に、静かに、確実に届きますように。

相手が「嫌がること」を好んでするDV

DVという言葉から、殴る・怒鳴る・脅すといった分かりやすい暴力を思い浮かべる人は多いと思います。
けれど、相談の現場で多く語られるのは、もっと静かで、しかし確実に人を追い詰めていくDVです。

その一つが、
相手が嫌がると分かっていることを、あえて繰り返すDVです。

このタイプのDVで重要なのは、
加害者が、相手が嫌がっていることを理解しているという点です。

何度も「やめて」と伝えている

表情や態度で不快感を示している

その話題になると黙り込む、体調を崩す

距離を取ろうとする

それでも同じことを繰り返す。

これは無神経でも冗談でもありません。
意図的な行為です。

このDVでは、
行為そのものより相手の反応が目的になります。

困る

嫌がる

混乱する

我慢する

必死に説明する

その反応を見て、加害者は無意識にこう確認しています。

「自分はこの人を動かせる」
「この人の感情は、自分の影響下にある」

つまり、
相手をコントロールできているという感覚が報酬になっているのです。

このDVの被害者は、決して何もしないわけではありません。

分かってもらおうと説明する

関係を壊さないよう言葉を選ぶ

冷静に話そうと努力する

自分の感じ方を丁寧に伝えようとする

とても誠実で、必死です。

多くの人がこう思っています。

「ちゃんと説明すれば、分かってくれるはず」
「伝え方を変えれば、変わってくれるかもしれない」

これはとても残酷な事実ですが、
このタイプのDVでは、

被害者が一生懸命になればなるほど、状況が悪化することがあります。

なぜなら加害者にとって、

長い説明

感情のこもった訴え

涙や混乱

論理的な説得

そのすべてが、

「ここまで相手を揺さぶれている」
「まだ自分の支配は効いている」

という確認材料になるからです。

結果として、

同じことを何度も繰り返す

揚げ足取りや論点ずらしが増える

「大げさだ」「気にしすぎだ」と軽く扱う

さらに嫌がる行為をエスカレートさせる

という悪循環が起きます。

ここで被害者は、もう一段自分を責めます。

もっと上手く話せばよかった

感情的にならなければよかった

説明が足りなかったのかもしれない

でも、問題はそこではありません。

すでに対等な話し合いが成立しない関係になっている
ただ、それだけのことです。

説明や説得で変わる段階は、
もう過ぎているのです。

このDVは、一つ一つの行為が小さく見えます。

ちょっとした言葉

からかい

無視

嫌な話題の蒸し返し

わざと不機嫌になる態度

だから被害者は、

「私が気にしすぎなのかも」

「これくらい我慢すべき?」

「DVと言うのは大げさ?」

と、自分の感覚を疑い始めます。

でも、
嫌だと伝えているのに繰り返される行為は、
それだけで暴力です。

相手が嫌がることを好んでするDVは、
激しくはありません。
けれど、人の尊厳・判断力・自己信頼を静かに削っていく暴力です。

そして、
あなたが必死に説明しても、説得しても変わらなかったのは、
あなたの言葉が足りなかったからではありません。

その関係が、説明で変わる段階を超えていただけです。

もし、この文章を読んで
「これ、うちのことかもしれない」と感じたら、
一人で答えを出そうとせず、相談してみてください。

気持ちをあらたに

あけましておめでとうございます。

新しい年が始まりました。
年のはじめは、気持ちが前向きになる人もいれば、
少し気持ちがざわつく人もいるかもしれません。
どんな状態でこの一年を迎えていても、それで大丈夫だと思っています。

人はそれぞれ、違う背景や経験を抱えながら日々を過ごしています。
誰かと比べたり、無理に整えようとしたりしなくても、
まずは今の自分の状態に気づくことが大切なのかもしれません。

この場所は、
「こうあるべき」を押しつけるための場ではなく、
人との関係や自分自身について、
少し立ち止まって考えるきっかけを持てる場でありたいと考えています。

この一年が、
誰にとっても、少し呼吸がしやすくなる一年になりますように。

本年も、どうぞよろしくお願いいたします。

苗字について考えた

先日のDV被害女性プログラムで、
「離婚後、苗字を変えるか、変えないか」という話題が出ました。

一見すると、ただの事務的な選択のように聞こえるかもしれません。
でも、参加者の言葉を聞いていると、それがとても個人的で、重たい問いであることがよくわかりました。

「もう元の苗字に戻りたい。
あの人の名前を名乗り続けるのが、つらい」

そう話す人もいれば、

「子どもと苗字が違うのは困る」
「仕事上、今さら変えるのは現実的じゃない」

と悩む人もいます。

中には、
「苗字を変えたら、やっと終わった気がすると思う」
「でも、変えないことで“過去をなかったことにしない”という選択もあるのかもしれない」
と、言葉を探しながら話す方もいました。

印象的だったのは、
どの選択にも「正解」はない、という空気が自然と共有されていたことです。

DVについて考えたとき、名前や呼び方、立場そのものが支配と結びついてきた人も少なくありません。
だからこそ、苗字をどうするかという選択は、
「自分の人生を、これから誰のものとして生きるのか」
という問いと重なります。

変える人も、変えない人も、
それぞれが、自分を守るために考え抜いた選択です。

プログラムの中で大切にしているのは、
「こうすべき」と決めることではなく、
自分で選んだ、と思えること

苗字の話は、そのことを改めて教えてくれました。

離婚はゴールではありません。
その後の日常の中で、こうした小さく見える選択を一つひとつ取り戻していく。
それ自体が、回復のプロセスなのだと思います。

今年も残りわずかとなりました。
年の瀬は、気持ちが少し揺れやすくなる時期でもあります。

一年を振り返って、
「ここまでよく頑張ってきた」と思える人もいれば、
「まだ何も終わっていない」と感じる人もいるかもしれません。

でも、今日ここにいること、
自分のことを考え、選ぼうとしていること自体が、
もう十分に大きな一歩です。

今年一年、このプログラムに参加してくださった方、
ここまでたどり着くまでに、たくさんの迷いや痛みを抱えてきた方、
その一人ひとりに、心からの敬意を込めて。

どうか年末年始、少しでも安心できる時間がありますように。
そして来年が、「自分の名前で、自分の人生を生きる一年」になりますように。

本年もありがとうございました。
どうぞ、穏やかな年末年始をお過ごしください。

ノンストップ出演のご報告と、モラハラについて伝えたかったこと

昨日、フジテレビ「ノンストップ」に出演し、モラルハラスメント(モラハラ)についてお話ししました。
限られた時間ではありましたが、どうしても伝えたかったことがあります。

それは、モラハラの加害者が変わることは、簡単ではないという現実です。

モラハラは、単なる「性格の問題」や「言い過ぎ」ではありません。
相手を支配し、コントロールする関係性の中で繰り返される行為であり、長年にわたって身についた考え方や価値観、行動パターンと深く結びついています。
そのため、周囲が期待するほど、本人がすぐに変わることは多くありません。

「謝ってくれたから」「優しい時もあるから」「次はきっと大丈夫」
そう思って関係を続ける中で、被害は静かに、しかし確実に深刻化していくことがあります。

だからこそ、被害に気づいたら、できるだけ早く相談機関につながってほしいと思っています。

モラハラの怖さは、「これはDVなのだろうか」「私が悪いのではないか」と、被害者自身が判断を迷わされてしまう点にあります。
でも、苦しい、怖い、息が詰まる、自由がない――そう感じている時点で、相談していい理由は十分にあります。

相談することは、誰かを告発するためだけのものではありません。
自分の状況を整理し、これからを考えるための“安全な場所”です。
一つの相談先でうまくいかなくても、別の相談機関を利用して構いません。

「大したことじゃないかもしれない」と一人で抱え込まず、
どうか、つながってください。

今回の出演が、
「これっておかしいかもしれない」
「相談してみようかな」
そう思うきっかけになっていたら、これ以上うれしいことはありません。

東京都の職務関係者研修で講師を担当しました

 東京都が毎年6回実施している「職務関係者研修」にて、
今年は 講義1とセッションの進行役 を担当させていただきました。

 対象は、DV・虐待・困難ケースなどに日々向き合っている行政職員、地域包括、民生委員、子育て支援者等のみなさん。
オンライン開催にもかかわらず、多くの方が熱心に参加され、画面越しでも“現場で何かを変えたい”という思いが伝わってくる、とても濃い研修でした。

 講義1では、
DVの見えにくさ、否認の病、支配構造、近しい人の役割、そして連鎖を断ち切る支援についてお話ししました。

 暴力は突然大きな形で現れるのではなく、日常の中の“小さな違和感”の積み重ねの中で進行します。
だからこそ、支援の入り口になるのは、制度や専門家よりも 「その人のそばにいる誰か」 なんですよね。

この視点にチャットでもたくさんの反応をいただきました。

講義2の中板さん(武蔵野大学教授)のお話も本当に素晴らしく、特に印象に残ったのは、

  • 「否認の病」
  • 「家庭内の暴力は見えにくい」
  • 「近くにいる人が関与することが鍵」

という三つのポイント。「暴力の物語が家庭の中で書き換えられてしまう」という言葉は、支援者としても改めて肝に落ちる内容でした。

 その後のセッションでは、障害×DV、高齢者夫婦のDV、地域の顔の見える連携など、
現場ならではの質問がどんどんチャットに寄せられ、ウェビナーとは思えない熱量でした。時間に限りがあり、すべての質問にお答えできず申し訳ない気持ちです。

 DVも虐待も、”特別な家庭で起きる問題”ではありません。

 孤立・否認・沈黙がそろうと、どの家庭でも起こりうるし、だからこそ 「近くの誰かの気づき」 が本当に大事。

 今回の研修は、その気づきのアンテナを地域全体で育てる試みだと感じました。
私もまた、できる場所から一歩ずつ関わっていきたいと思います。

 こうした学びの場に関わらせていただけることに感謝しつつ、
これからも女性支援・DV予防・地域づくりに携わっていきたいと思います。

「見えない暴力に気づく力を育てる――東京都職務関係者研修に登壇して」

昨日、東京都が実施した「職務関係者研修」で講義とセッションを担当しました。
対象は、DV・虐待・困難ケースに日々向き合っている行政職員や地域支援者、民生委員のみなさん。
現場で最前線に立つ“支援の担い手たち”が一堂に会する貴重な研修です。

今回あらためて感じたのは、
暴力とは「見えるとき」より「見えないとき」に深刻化する
ということ。

武蔵大学の中板先生の講義では、まさにこの“見えなさ”が丁寧に言語化されていました。

否認の病が、家庭の中で暴力を覆い隠す

DVや虐待がなぜ外から見えにくいのか。
その理由のひとつに 「否認の病(Denial)」 があります。

加害者は、
「そんなつもりじゃない」「怒らせた相手が悪い」と自分を正当化し、
被害者は、
「私が耐えればいい」「大げさにしたくない」と自分の痛みを小さく扱ってしまう。

家庭の中で“現実の書き換え”が起きる。
これこそが暴力の本質であり、支援が届きにくい最大の理由です。

過去の虐待経験と現在のDVは、同じ根っこを持っている

もうひとつ印象深かったのは
「虐待の連鎖」 の話。

虐待を受けた人が必ず加害者になるわけではありません。
でも、暴力を“関係性のモデル”として学習してしまうと、
自分が大切な人と向き合うときに、同じパターンが繰り返されやすい。

しかし連鎖は、
周囲の誰かが関わることで確実に断ち切ることができる。

これは私も支援現場で痛感してきた真実です。

その人のいちばん近くにいる誰かが、鍵を握っている

暴力の連鎖を止めるのは、
必ずしも専門家だけではありません。

・民生委員
・学校の先生
・地域包括の職員
・同じ自治体内の職員
・職場の同僚

その人の近くにいる“たった一人”が気づくこと。
この小さなきっかけが、暴力からの出口になります。

今回の研修でも、
「違和感を覚えたときにどう動けばいいのか」
「どこまで踏み込んでいいのか」
といった質問が多く寄せられました。

それは、みなさんが本気で地域を守りたいと思っている証拠です。

ウェビナー越しでも、熱量は確かに届く

今回はオンラインのウェビナー形式でしたが、
画面越しにも、参加者の真剣さがしっかり伝わってきました。

チャットには絶えず質問が届き、
「地域での顔の見える連携」
「障害とDVの交差」
「男性被害」
「高齢者夫婦のDV」
など、まさに現場で直面している課題が並びました。

オンラインでも、
“支援の現場をもっとよくしたい”という思いは確かに集まる。
そんな時間でした。

最後に――暴力は孤立の中で強くなる。つながりの中で弱まる。

DVも虐待も、
“悪い家庭で起きる特別な問題”ではありません。

孤立、否認、沈黙。
この3つが重なると、どんな家庭でも暴力は起きうるし、長期化します。

そしてそれをほどくのは、
つながり・対話・気づき・寄り添い。

制度や法律だけでは届かない場所を、
“人”が補っていく。

今回の東京都の研修は、
その大切さを再確認する機会でした。

支援に携わるすべての方に、心からの敬意を込めて。
そして、今日学んだことが、
どこかの誰かの「出口」につながることを願っています。

ガスライティングは“心の骨折”——見えない暴力の正体

「あなた、気にしすぎじゃない?」


その一言で、自分の中の何かがふっと揺れる。
“あれ、私のほうがおかしいのかな?”
そう思った瞬間から、ガスライティングは静かに始まるのです。

ガスライティングは、殴るわけでも怒鳴るわけでもありません。
もっと静かで、もっと厄介です。
相手の“感覚”そのものを疑わせ、少しずつ自分の現実感覚を奪っていくのです。
私はこれを 「心の骨折」 と呼んでいます。
外からは見えないし、本人でさえしばらく痛みに気づけない骨折です。

例えば、こんな会話があります。

「そんなことあったっけ?」
「大げさだよ、いつものことじゃん」
「お前が勘違いしてるんだよ」
「みんなそう言うと思うよ?」
「おかしいのは、君じゃない?」

最初は小さな違和感。「あれ?」で終わると思います。
でも、半年、1年と経つうちに、
“自分の感覚より相手の言葉が正しい気がしてくる”のです。
ここまで来ると、もう深い骨折です。

しかも、この行為が起きる背景には、
単なる性格の問題ではなく、
ジェンダー規範や権力関係、組織文化といった大きな構造が潜んでいることが多いのです。
「大げさだ」「ヒステリックだ」「気にしすぎ」というラベルは、
特に女性に向けて使われやすいと思います。
現場にいると、この“構造の後押し”の強さをいつも思い知らされるのです。

ガスライティングの怖さは、
殴られたときよりも “自分を疑い始めたとき” が最も危険 だということです。
自分の感覚を捨ててしまったら、
もう逃げたくても逃げられない。
判断基準ごと相手に預けてしまうから…。

でも、骨折には治療法があります。

まずは 「あれ、おかしいな」 という小さな違和感を大事にしてほしいのです。
自分の感覚は自分だけのもので、
誰かが書き換えていいものじゃないのです。
そして、たったひとりでも味方がつけば、現実は取り戻せます。
「それはおかしいよ」と隣で言ってくれる人がいるだけで、
折れた心はゆっくりと修復を始めることができます。

ガスライティングは見えない暴力です。
けれど、見えるように語り始めた瞬間から、
その支配は弱まっていきます。
私たちの言葉は、あの静かな骨折から誰かを救う力になります。

ガスライティング(gaslighting):1944年の映画『Gaslight』で、夫が妻を操作するためにガス灯を暗くし、
「あなたの見間違いだ」と否定し続けた描写に由来する言葉です。


相手の見た事実・感じたこと・判断を繰り返し否定し、
「自分のほうが間違っている」と思い込ませる心理的支配します。
被害者は自尊心や現実認識を奪われ、加害者に依存しやすくなるのです。
DV、モラハラ、ハラスメントの場面で典型的に見られます。

サプライズがうまくいかない日だってある

―「よかれと思って」の裏側にある気持ちを見つめてみる―

今日のDV加害者プログラムでは、「サプライズ」の話がいくつも出てきました。
誰かを喜ばせたくて、よかれと思ってしたことが、思ったように受け取ってもらえなかった——
そんな経験、誰にでもありますよね。

サプライズは本来、相手を想う気持ちから生まれるもの。
でも現場で話を聞いていると、ときどきこんな声が聞こえてきます。

「がんばったのに、どうして喜んでくれないんだろう」
「うまく伝わらないって、つらい」

その言葉の奥には、
“相手を想う気持ち”と“自分も大切にされたい気持ち”の両方があるんだと思います。

サプライズって、実はむずかしい

なぜサプライズがこじれてしまうのでしょう?

一番の理由はこれかもしれません。

“相手の気持ちを想像する”ことが、思っている以上に難しいから。

良かれと思って動いたのに、相手の望みとはちがってしまう。
そのズレが、がっかりしたり、不安になったり、怒りに変わることもある。
今日のみんなの話にも、そんな揺れがたくさんありました。

でも、それは「悪いこと」ではありません。
大切な人を思っているからこそ、期待して、反応に揺れてしまう。
人として自然なことなんです。

相手からはどう見えていたんだろう?

今日のワークでは、“相手の気持ちを想像する”という時間がありました。

そこで出てきたのは、意外と静かな、だけど深い言葉たち。

  • 「気をつかわせちゃったかな」
  • 「タイミングじゃなかったのかもしれない」
  • 「本当は別のことを望んでいたのかも」

“喜ばせたい”という気持ちが先に立つと、
相手の小さなサインが見えなくなることがあります。

でも今日、参加者の多くが
「ああ、自分は相手の自由や気持ちより“結果”を見ていたかもしれない」
と気づいていました。

その気づきって、とても尊いことです。

「どう見られたいか」より「どんな存在でありたいか」

プリントに書かれていた一文。今日いちばん響いた言葉でした。

“相手からどう見られたいか”より
“相手にとって自分がどんな存在でありたいか”

この視点に立つと、サプライズはもっとやさしい形に変わります。

無理をさせない。
気をつかわせない。
「いらない」と言える自由を残す。

その余白の中で初めて、
心からの「ありがとう」が生まれるんですよね。

さいごに:サプライズは“心の距離をはかる羅針盤”

サプライズは、ときどき失敗します。
でも、失敗は悪いことじゃありません。

そのたびに、

  • 相手は何を大切にしているんだろう
  • 今の自分はどう関わりたいんだろう
  • どんな距離感が心地よいんだろう

そんなことをそっと教えてくれます。

今日のみんなの言葉を思い返しながら、
わたしは“サプライズって、関係性の羅針盤みたいだな”と感じていました。

無理に喜ばせなくていい。
完璧じゃなくていい。
ただ、丁寧に相手を見ること
そこから関係は、静かに、でも確かに変わっていきます。

怒りを止める勇気 ― 「立ち止まり、言葉で戻る」という選択

「怒りって、悪いことじゃないんですね。」

DV加害者プログラムの中で、そんな言葉がよく聞かれます。
多くの人が、「怒り=悪」「我慢=善」と思い込んでいます。でも本当は、怒りは誰にでもある自然な感情です。問題は、どう表現するか

プログラムでは、「早期に気付いて立ち止まり、言葉で戻る」という教材を使います。ここで学ぶのは、暴力を止めるための二つの力――タイムアウトポジティブ・セルフトークです。

タイムアウトは“逃げること”じゃない

自分の中に「まずいな」と感じるサインがあります。
顔が熱くなる、手が震える、呼吸が浅くなる――その瞬間が、立ち止まるタイミング

「今、冷静じゃない。少し離れます。」

そう口に出して場を離れる。それが「タイムアウト」。
一見、逃げているようでいて、実は暴力を止めるための行動なんです。
外に出て深呼吸する、トイレで少し静かにする。大事なのは“距離を取る勇気”です。パートナーにとっては、「せっかく話しているのに逃げるのか」とがっかりする人も、さらに怒りが増す人もいるかもしれません。


言葉で自分を落ち着かせる

離れたあとに必要なのが「セルフトーク」。
つまり、自分を落ち着かせるための言葉です。

「この怒りは一時的だ。」
「今は話さないほうがいい。」
「深呼吸だ。3回だけでいい。」

そんな言葉を、自分のために“用意しておく”。
誰かを責める代わりに、自分と対話する時間を持つことが、再び“言葉で戻る”力を育てます。


離れる勇気、戻る力

タイムアウトとセルフトークはセットです。
離れるだけではすれ違いが深まる。戻るだけでは感情が爆発する。
だからこそ、「離れる勇気」と「言葉で戻る力」を一緒に練習します。

ある参加者が言っていました。

「怒りを抑え込むんじゃなくて、“扱えるようになる”ことが目標なんですね。」

その通り。怒りを“悪”と切り捨てず、安全に扱う力を育てていく。
それが、暴力の連鎖を断ち切るための第一歩です。

お互いに冷静になったときに、また二人で向き合って話しましょう。もし二人で何か少しでも話すと暴力になってしまうという恐れがある方は、誰かに助けを求めましょう。

そして冷静になって、プログラムに参加しましょう。