高校生の恋愛事情を聞いてみた
先日、中高生の居場所におじゃましてきました。
公民館のような場所で、放課後になると子どもたちが自由に集まってくる場所です。
今回は講座ではなく、遊びに来ている高校生たちと雑談しながら、デートDVのことを少しだけ話すという形でした。
用意していたボードに
「YES」
「NO」
を書いて、質問にシールを貼ってもらいます。
「恋人とは毎日連絡を取るのが普通?」
「恋人のスマホを見るのはアリ?」
「恋人が誰といるか聞くのは普通?」
「好きだから心配する、はOK?」
すると、シールがどんどん貼られていきます。
面白いのは、答えがきれいに分かれることです。
「それはイヤでしょ」という声もあれば、
「別にいいじゃん」という声もあります。
そしてもう一つ、印象的だったことがありました。
交際相手がいない子たちは、
「それは嫌だ」「それはおかしい」
と、はっきりNOと言えることが多いのです。
一方で、実際に交際している子たちは少し悩みます。
「本当は嫌だけど…」
「でも相手が心配するって言うし…」
「好きだからしょうがないのかな…」
頭で考えている理想の恋愛と、実際の恋愛とのあいだで、少し揺れている様子が伝わってきました。
LINEの既読や返信の速さ、
誰と遊んでいるのか、
SNSのフォロー、嫉妬、束縛…。
スマホがある時代の恋愛は、つながりやすい分だけ、関係が近くなりすぎることもあるのかもしれません。
今回の時間で何かが大きく変わるわけではありません。
でも、
「それって普通なのかな?」
「自分だったらどう感じるかな?」
そんなふうに少し立ち止まって考えるきっかけになっていたらいいなと思います。
こういう場所で、若者たちの声を聞きながら話す時間は、やはり大切だなあと感じた一日でした。
映画は「作品」だけでなく「現場」でもつくられる
――製作スタッフ全員受講のハラスメント研修を終えて
本日、映画業界の製作スタッフ全員を対象としたハラスメント研修を実施しました。
俳優、制作、技術、マネジメント——
立場も役割も異なる方々が、同じ時間を共有し、「現場の空気」について考える時間となりました。
今回、私が中心にお話ししたのは
「バイスタンダー(傍観者)」の存在です。
多くの現場では、
「加害者が悪い」
「被害者が声を上げればいい」
という二項対立で語られがちです。
けれど実際には、その周囲にいる人たちの態度が、
現場の文化を決定づけています。
・見て見ぬふりをする
・笑ってやり過ごす
・空気を読んで沈黙する
それらは中立ではありません。
沈黙は、時に明確な加担になります。
映画制作の現場は、
・期間限定のチーム
・上下関係が明確
・「作品のため」という大義名分
・長時間労働
・夢や憧れを背景にした若手の多さ
といった特徴を持ちます。
そのため、
「今ここで波風を立てたくない」
「次の仕事がなくなるかもしれない」
「監督に逆らえない」
という心理が働きやすい構造でもあります。
この構造こそが、
ハラスメントを“起きやすくし”、
そして“続きやすくする”のです。
今日の研修では、問いかけをしました。
- その場でできる小さな一言は?
- 後から声をかけることはできないか?
- 「笑わない」という選択はできないか?
バイスタンダーは、
現場の空気を変える力を持っています。
大きな正義感で立ち向かう必要はありません。
ほんの小さな違和感に気づき、
「それは違うかもしれない」と心の中で線を引くこと。
そこから始まります。
映画は人の心を動かす芸術です。
今日はDVに関する研修会でした
本日、DVをテーマにした、対面とオンラインのハイブリッドの研修会に講師として出席してきました。
今回は、当事者の方々が含まれる場でもあったため、何かを決断する時間ではなく、「自分の感覚を大切にする時間」にすることを心がけました。
会場の空気と、画面越しのまなざし。それぞれの場所で、それぞれの思いがあったように感じています。
DVというと、「怒り」や「性格」の問題として語られがちです。
けれど今回は、関係の中でどのように“力”が使われているのか、という視点から整理しました。
誰が決めているのか。
誰が空気を左右できるのか。
誰が我慢を続けているのか。
少し距離をとって関係を見ることで、見えてくるものがあります。
小さな違和感を否定しない
DVは、ある日突然始まるわけではありません。多くは、小さな違和感の積み重ねから始まります。
「なんとなくおかしい」
「少し苦しい」
「言葉にしづらいけれど、引っかかる」
その感覚は、弱さではありません。
今日は、その違和感を急いで説明しなくていい、そんな時間にしました。
研修では、なぜ離れないのか、という問いにも触れました。
現実には、経済や子ども、生活基盤など、簡単には動けない事情があります。
動かないことが、その時点では一番安全な選択であることもあります。
それは決して「弱さ」ではありません。
後半では「境界線」という視点を共有しました。
NOは攻撃ではありません。
相手を変えるための言葉でもありません。
自分の領域を守るための線です。
うまく言えなくても大丈夫。
今すぐ使えなくても大丈夫。
ただ、「NOは悪いことではない」ということだけでも、
心のどこかに置いておいてもらえたらと思っています。
ハイブリッドという形式でしたが、それぞれの場所で、静かに考える時間が流れていました。
今日が何かのきっかけにならなくても構いません。
ただ、「自分の感覚を否定しなくていい」と思えたなら、それで十分です。
ご参加くださった皆さま、ありがとうございました。
第2回bloom+を終えて
― 背負わされていた言葉を、そっと置く時間 ―
第2回は、「自責感」をテーマにしました。
DVや虐待の関係のなかで、
いつのまにか自分の中に残ってしまった言葉を、
カードを使って、静かに見ていく時間でした。
テーブルに並んだ言葉の中には、こんなものがありました。
「それくらい普通だよ」
「あなたが気にしすぎ」
「私がもっと上手にできたはず」
「うまくやれない私が悪い」
「ここで問題にする私がおかしい」
「私が黙っていればよかった」
「私が期待しすぎた」などなど数十種類のカードが並びます。
どれも、どこかで耳にしたことがあるような言葉です。
でも、それが何度も繰り返されると、
やがて自分の声のように聞こえてくることがあります。
今回のワークでは、その言葉が
「本当に自分の言葉だったのか」
を、無理なく見ていきました。
共有はしません。
説明も求めません。
ただ、カードを手元に置く。
脇に分ける。
何も選ばない。
それもすべて、その人の選択です。
ある参加者が、ぽつりとこう言いました。
「言葉にすると、ちょっと離れて見える気がします。」
それ以上は深めませんでした。
この場は、分析する場所ではなく、
安心して置き直す場所だからです。
自責感は、性格の問題ではありません。
関係の中で、少しずつ、少しずつ、
背負わされていくものです。
「私が悪い」と思うことで、
関係を壊さずにいようとした。
怖さをやり過ごそうとした。
その場を生き延びようとした。
それは弱さではなく、
その時にできた精一杯の工夫です。
第2回は、大きな変化を目指す回ではありません。
ただ、
「これは、私の言葉じゃなかったかもしれない」
と、心のどこかで思える時間。
それだけで、十分なのだと思います。
女性のためのサポートグループを始めます
このたび、女性のためのサポートグループを始めることになりました。
これまで、個別相談や講座、出前授業などを通して、多くの女性の声に触れてきました。
その中で、繰り返し聞こえてきたのが、
「話せる場がない」
「同じような経験をした人と出会う機会がない」
「一人で抱えているうちに、自分の感じ方がわからなくなってしまった」
という声でした。
サポートグループは、問題を急いで解決する場ではありません。
正解を出したり、元気になることを求められる場でもありません。
ここは、
・言葉にならない思いを、そのまま持ち込んでいい場所
・話してもいいし、話さなくてもいい場所
・「そんなふうに感じた自分」を否定されない場所
です。
参加される方の背景や経験はさまざまです。
それでも、同じ空間で、同じ時間を過ごし、他の人の話を聞く中で、
「自分だけじゃなかった」
「こう感じてもいいんだ」
と、少しずつ視界が開けていくことがあります。
このグループでは、安心・安全を何より大切にします。
守秘、尊重、無理をしないこと。
誰かの体験を比べたり、評価したりすることはしません。
一人でがんばり続けなくていい。
「支えられる側」になることも、立派な選択です。
もし今、
・言葉にできない違和感を抱えている
・過去の出来事が、ふとした瞬間に浮かんでくる
・誰かの前では強くしてしまう
そんな状態にあるなら、このサポートグループのことを思い出してください。
詳細(日時・参加方法など)は、トップページをご覧ください。
必要な方に、静かに、確実に届きますように。
相手が「嫌がること」を好んでするDV
DVという言葉から、殴る・怒鳴る・脅すといった分かりやすい暴力を思い浮かべる人は多いと思います。
けれど、相談の現場で多く語られるのは、もっと静かで、しかし確実に人を追い詰めていくDVです。
その一つが、
相手が嫌がると分かっていることを、あえて繰り返すDVです。
このタイプのDVで重要なのは、
加害者が、相手が嫌がっていることを理解しているという点です。
何度も「やめて」と伝えている
表情や態度で不快感を示している
その話題になると黙り込む、体調を崩す
距離を取ろうとする
それでも同じことを繰り返す。
これは無神経でも冗談でもありません。
意図的な行為です。
このDVでは、
行為そのものより相手の反応が目的になります。
困る
嫌がる
混乱する
我慢する
必死に説明する
その反応を見て、加害者は無意識にこう確認しています。
「自分はこの人を動かせる」
「この人の感情は、自分の影響下にある」
つまり、
相手をコントロールできているという感覚が報酬になっているのです。
このDVの被害者は、決して何もしないわけではありません。
分かってもらおうと説明する
関係を壊さないよう言葉を選ぶ
冷静に話そうと努力する
自分の感じ方を丁寧に伝えようとする
とても誠実で、必死です。
多くの人がこう思っています。
「ちゃんと説明すれば、分かってくれるはず」
「伝え方を変えれば、変わってくれるかもしれない」
これはとても残酷な事実ですが、
このタイプのDVでは、
被害者が一生懸命になればなるほど、状況が悪化することがあります。
なぜなら加害者にとって、
長い説明
感情のこもった訴え
涙や混乱
論理的な説得
そのすべてが、
「ここまで相手を揺さぶれている」
「まだ自分の支配は効いている」
という確認材料になるからです。
結果として、
同じことを何度も繰り返す
揚げ足取りや論点ずらしが増える
「大げさだ」「気にしすぎだ」と軽く扱う
さらに嫌がる行為をエスカレートさせる
という悪循環が起きます。
ここで被害者は、もう一段自分を責めます。
もっと上手く話せばよかった
感情的にならなければよかった
説明が足りなかったのかもしれない
でも、問題はそこではありません。
すでに対等な話し合いが成立しない関係になっている
ただ、それだけのことです。
説明や説得で変わる段階は、
もう過ぎているのです。
このDVは、一つ一つの行為が小さく見えます。
ちょっとした言葉
からかい
無視
嫌な話題の蒸し返し
わざと不機嫌になる態度
だから被害者は、
「私が気にしすぎなのかも」
「これくらい我慢すべき?」
「DVと言うのは大げさ?」
と、自分の感覚を疑い始めます。
でも、
嫌だと伝えているのに繰り返される行為は、
それだけで暴力です。
相手が嫌がることを好んでするDVは、
激しくはありません。
けれど、人の尊厳・判断力・自己信頼を静かに削っていく暴力です。
そして、
あなたが必死に説明しても、説得しても変わらなかったのは、
あなたの言葉が足りなかったからではありません。
その関係が、説明で変わる段階を超えていただけです。
もし、この文章を読んで
「これ、うちのことかもしれない」と感じたら、
一人で答えを出そうとせず、相談してみてください。
気持ちをあらたに
あけましておめでとうございます。
新しい年が始まりました。
年のはじめは、気持ちが前向きになる人もいれば、
少し気持ちがざわつく人もいるかもしれません。
どんな状態でこの一年を迎えていても、それで大丈夫だと思っています。
人はそれぞれ、違う背景や経験を抱えながら日々を過ごしています。
誰かと比べたり、無理に整えようとしたりしなくても、
まずは今の自分の状態に気づくことが大切なのかもしれません。
この場所は、
「こうあるべき」を押しつけるための場ではなく、
人との関係や自分自身について、
少し立ち止まって考えるきっかけを持てる場でありたいと考えています。
この一年が、
誰にとっても、少し呼吸がしやすくなる一年になりますように。
本年も、どうぞよろしくお願いいたします。
苗字について考えた
先日のDV被害女性プログラムで、
「離婚後、苗字を変えるか、変えないか」という話題が出ました。
一見すると、ただの事務的な選択のように聞こえるかもしれません。
でも、参加者の言葉を聞いていると、それがとても個人的で、重たい問いであることがよくわかりました。
「もう元の苗字に戻りたい。
あの人の名前を名乗り続けるのが、つらい」
そう話す人もいれば、
「子どもと苗字が違うのは困る」
「仕事上、今さら変えるのは現実的じゃない」
と悩む人もいます。
中には、
「苗字を変えたら、やっと終わった気がすると思う」
「でも、変えないことで“過去をなかったことにしない”という選択もあるのかもしれない」
と、言葉を探しながら話す方もいました。
印象的だったのは、
どの選択にも「正解」はない、という空気が自然と共有されていたことです。
DVについて考えたとき、名前や呼び方、立場そのものが支配と結びついてきた人も少なくありません。
だからこそ、苗字をどうするかという選択は、
「自分の人生を、これから誰のものとして生きるのか」
という問いと重なります。
変える人も、変えない人も、
それぞれが、自分を守るために考え抜いた選択です。
プログラムの中で大切にしているのは、
「こうすべき」と決めることではなく、
自分で選んだ、と思えること。
苗字の話は、そのことを改めて教えてくれました。
離婚はゴールではありません。
その後の日常の中で、こうした小さく見える選択を一つひとつ取り戻していく。
それ自体が、回復のプロセスなのだと思います。
今年も残りわずかとなりました。
年の瀬は、気持ちが少し揺れやすくなる時期でもあります。
一年を振り返って、
「ここまでよく頑張ってきた」と思える人もいれば、
「まだ何も終わっていない」と感じる人もいるかもしれません。
でも、今日ここにいること、
自分のことを考え、選ぼうとしていること自体が、
もう十分に大きな一歩です。
今年一年、このプログラムに参加してくださった方、
ここまでたどり着くまでに、たくさんの迷いや痛みを抱えてきた方、
その一人ひとりに、心からの敬意を込めて。
どうか年末年始、少しでも安心できる時間がありますように。
そして来年が、「自分の名前で、自分の人生を生きる一年」になりますように。
本年もありがとうございました。
どうぞ、穏やかな年末年始をお過ごしください。
ノンストップ出演のご報告と、モラハラについて伝えたかったこと
昨日、フジテレビ「ノンストップ」に出演し、モラルハラスメント(モラハラ)についてお話ししました。
限られた時間ではありましたが、どうしても伝えたかったことがあります。
それは、モラハラの加害者が変わることは、簡単ではないという現実です。
モラハラは、単なる「性格の問題」や「言い過ぎ」ではありません。
相手を支配し、コントロールする関係性の中で繰り返される行為であり、長年にわたって身についた考え方や価値観、行動パターンと深く結びついています。
そのため、周囲が期待するほど、本人がすぐに変わることは多くありません。
「謝ってくれたから」「優しい時もあるから」「次はきっと大丈夫」
そう思って関係を続ける中で、被害は静かに、しかし確実に深刻化していくことがあります。
だからこそ、被害に気づいたら、できるだけ早く相談機関につながってほしいと思っています。
モラハラの怖さは、「これはDVなのだろうか」「私が悪いのではないか」と、被害者自身が判断を迷わされてしまう点にあります。
でも、苦しい、怖い、息が詰まる、自由がない――そう感じている時点で、相談していい理由は十分にあります。
相談することは、誰かを告発するためだけのものではありません。
自分の状況を整理し、これからを考えるための“安全な場所”です。
一つの相談先でうまくいかなくても、別の相談機関を利用して構いません。
「大したことじゃないかもしれない」と一人で抱え込まず、
どうか、つながってください。
今回の出演が、
「これっておかしいかもしれない」
「相談してみようかな」
そう思うきっかけになっていたら、これ以上うれしいことはありません。
東京都の職務関係者研修で講師を担当しました
東京都が毎年6回実施している「職務関係者研修」にて、
今年は 講義1とセッションの進行役 を担当させていただきました。
対象は、DV・虐待・困難ケースなどに日々向き合っている行政職員、地域包括、民生委員、子育て支援者等のみなさん。
オンライン開催にもかかわらず、多くの方が熱心に参加され、画面越しでも“現場で何かを変えたい”という思いが伝わってくる、とても濃い研修でした。
講義1では、
DVの見えにくさ、否認の病、支配構造、近しい人の役割、そして連鎖を断ち切る支援についてお話ししました。
暴力は突然大きな形で現れるのではなく、日常の中の“小さな違和感”の積み重ねの中で進行します。
だからこそ、支援の入り口になるのは、制度や専門家よりも 「その人のそばにいる誰か」 なんですよね。
この視点にチャットでもたくさんの反応をいただきました。
講義2の中板さん(武蔵野大学教授)のお話も本当に素晴らしく、特に印象に残ったのは、
- 「否認の病」
- 「家庭内の暴力は見えにくい」
- 「近くにいる人が関与することが鍵」
という三つのポイント。「暴力の物語が家庭の中で書き換えられてしまう」という言葉は、支援者としても改めて肝に落ちる内容でした。
その後のセッションでは、障害×DV、高齢者夫婦のDV、地域の顔の見える連携など、
現場ならではの質問がどんどんチャットに寄せられ、ウェビナーとは思えない熱量でした。時間に限りがあり、すべての質問にお答えできず申し訳ない気持ちです。
DVも虐待も、”特別な家庭で起きる問題”ではありません。
孤立・否認・沈黙がそろうと、どの家庭でも起こりうるし、だからこそ 「近くの誰かの気づき」 が本当に大事。
今回の研修は、その気づきのアンテナを地域全体で育てる試みだと感じました。
私もまた、できる場所から一歩ずつ関わっていきたいと思います。
こうした学びの場に関わらせていただけることに感謝しつつ、
これからも女性支援・DV予防・地域づくりに携わっていきたいと思います。